筆者はその中の一つ「リトルベビー写真展」に足を運びました。リトルベビーとは体重2,500g以下で誕生した赤ちゃん。長崎県では約11人に1人がリトルベビーとして生まれているそうです。
写真展では長崎で生まれたリトルベビーとその家族の歩み、サポートの展示が行われました。
かくいうわたしもリトルベビーとして生まれた元リトルベビーです。(当時はリトルベビーではなく「超極小未熟児」とよばれていたようですね)
もちろん記憶にはありませんが、自衛隊ヘリで離島から本土へ搬送されたこと。4ヶ月入院していたこと。帰ってきてからも度々通院していたこと。子供の頃から耳にタコができるくらい「あなたが生まれてきた時は大変だったのよ」と言われたものです。
幼心に「もう聞き飽きた」(自分自身は元気に育ったと思っているから)と思ったり、大人たちの「小さいから心配ね」をまにうけて学校で「私は小さいから(だからできない)」と言って先生に怒られたことも。
思えば、小さく生まれたからどうこう、というのは母が1番口にしていたかもしれませんね。「小さいからランドセルは1番軽いもの」と言われ、選んだ記憶ないですもんね、ランドセル。さすがに中学生の頃、平均身長ぐらいは伸びて学校の並び順で1番小さくなくなったときは「もう小さくない!」と怒っちゃいました。
でも今回、写真展にお邪魔してわかったのは母の「小さいから心配ね」の心情です。リトルベビーのママたちの不安な気持ちを数十年前同じように母も抱いていたはずで、リトルベビーママたちのコメントを読んでも母が書いてくれた育児日記の「不安だ」の文字を思い出しました。保育器に入っている赤ちゃんと大きく見えすぎる大人の手。わたしもかつて親だけでなく病院の皆さんの手でサポートしてもらったのです。
印象的だったのは1,200gの赤ちゃんを模したお人形。なんて軽いんだろう、と。私の出生体重に1番近いお人形、母が私を抱っこした時もこんな感じだったのかなと胸が熱くなりました。
私自身は39週で第一子を出産しました。
26週の頃に入院グッズを全て整えました。
28週、つまり自分が生まれたタイミングに少々身構えていたからです。29週に入った時は少し脱力しましたね。わたしの出生体重を超えた時も同様でした。
同じ出産はない、とよく聞きます。そしてどんな出産も命懸け。
ただリトルベビーのママたちの場合、特別な感情を抱いて命に向き合っています。出産だけでなくそれからの育児でも。リトルベビーのママにとって母子手帳ひとつとっても、ちょっと事情が違うのです。
というのも、母子手帳は平均体重で生まれた乳児の平均的な発育にしたがって作られたものなので、リトルベビーの場合は当てはまらないこともあるそうなんですね。
そこで長崎リトルベビーの会Lino代表の杉村さんは、リトルベビーのママである経験とリトルベビーの成長が母子手帳に当てはまらないことをうけて、リトルベビーハンドブックを制作されました。この取り組みで、リトルベビーのママたちも赤ちゃんの成長を記録できるように。
私の母子手帳の「よくわらいますか?」の問いに「いいえ」に丸をした私の母。子供のころは「私って笑わない子供だったんだよ!」と友だちとはしゃいだ時もあったけど、これは早く生まれたことで成長がスローペースだったからなんですね。どんな気持ちで「いいえ」に丸をしたのか、その気持ちに少し触れられた気がします。
このブログを読んでいるリトルベビーのママさん。小さく生まれたこと、きっとお子さんが大きくなった時に話してもピンとこないかもしれません。当時のことを昨日のことのように思い出されるのに、反応も薄いしまたかって言われちゃうかも。でもみんなお母さんに感謝しています。いつかその子が親になった時、さらに自分の命の尊さに気づきますよ。
写真展の開催にあたり母と、リトルベビーのこと、私自身のこと、母のこと…。話す機会を与えてくださった杉村さん、上五島ままはぐさん、ありがとうございました。
写真:上五島ままはぐさんより
初めて上五島ままはぐさんを知った方へ
「上五島ままはぐ」は助産師、看護師、産後ケアセラピストをされる3人の上五島にゆかりのあるママが「新上五島町のママたちを産前・産後、育児中にわたってサポートしたい」との思いから立ち上げ運営されているママコミュニティです。
地域のカフェと連携した「ダイエット講座」やママたちのおしゃべりの場「ままはぐカフェ」の企画・運営をはじめ、外部講師を招いて講座を開講されるなど、新上五島町の産前・産後・育児中のお母さんの「からだとこころのケア」に寄り添った活動をされています。
イベントの情報は、公式Instagramや公式LINEにてご案内されますので、フォローしてみてはいかがでしょうか?
Comentários